こんにちは🌼
甲田としえです😊
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かっこうには
幼児から通えるクラスがあります。
今年度から幼児クラスが作られたので
小学生を持つお母さんは
悔しがっている方もおられます。
(うちの幼児からやらせたかった!と)
幼児期、本当に大事ですからね。
まだ数年しか生きていない彼らにとって
この世界で生きるためには
「そういうことになっている」と
思って生きるしかないわけです。
でも、この感覚を何から何まで
持たされて生きてしまうことが
非常に危ないんです。
大人が決める、
そうなっている、
ぼくらは言う事を聞けばいい、
そんな感覚を持って生きてほしくない。
だから、わたしの教室かっこうでは
「自分でやる(できる)」ことを
重要視しているのです。
この大きな掲示物は
『ちいさいおおきい』という詩です。
8月の発表会で
幼児クラス(さえずりクラス)の子が
読んだ詩です。
これを、わたしは
壁から10分ほどかけて撤去しました。
11月のお祭りで
もう一度読んでほしいからです。
・・・ん?
読んでほしいのに撤去??
そう、ここに小さな、
でも大きな仕掛けがあるんです。
わたしは先日の授業で
「どうする?
11月にもう一度読んでみる?」と
子どもたちに問いかけました。
もし、このときに
壁に貼ってある状態だったら
子どもたちはどうでしょう?
「もともとそういうことに
なっているんでしょ、先生」
って感じてしまうと思いませんか?
だから、わたし、
わざわざ壁からはがしたんです。
「読みたくない」という選択肢、
「読みたい」という選択肢、
両方を保障するために。
先生はどっちでもいいらしい。
ぼくらが決めていいらしい。
本物の意欲って
こういうところから出ると
思いませんか?
昨日、LINE@で
顔が子どもをコントロールする
という話をしましたが
この詩が掲示されているかどうかでも
子どもをコントロールすることが
できてしまう、ということなんですよ。
わたし、
ズボラで大雑把なところもありますが
こういうところはちゃんと慎重ですよ(笑)
ものすごい細かく考えてます。
自分たちが考えて決める、
大人に動かされずに
大人を動かす。
そんな経験が、今後
どれだけこの子たちの支えになるか
わかりません。
事実、「詩やる?」と聞かれて
「やりたい」と答えた子どもたちに
わたしが動かされて、
もう一度同じ詩を掲示するのですから(笑)
主体的に学ぶって
こういうことを言うんだと
わたしは思ってます。