こんにちは🌼
今日も、かっこうのブログをご覧くださりありがとうございます。
ご入園・ご入学・ご進級、おめでとうございます✨
バタバタするこの時期、せめて気持ちだけでも焦らずゆっくりいきたいですね。
ーーー
今日のおかしいタイトル。
いよいよ甲田さんは勉強しすぎて頭がどうかしちゃったのかしら…?!
「自立を急げ!急ぐなかれ!」のお話の始まり始まり~☆
まずは「自立」を急げ!の方のお話から。
======
自立を急げ!
======
いつかご紹介したことがあるような気がするのですが・・・
アンジェラ・アキさんの「~拝啓~十五の君へ」の歌詞の1節にこんなものがあります。
🎵自分とは何で~どこへ向かうべきか~
問い続ければ~見えてくる~
思春期を経て「自立」した自分が待っている。
そんな情景が目に浮かびますね。
「自立」を目指した子育てをしていきましょう!と、常々わたしは言っていますが、、、まさにこの曲って「自立」へ向かう途中の子どもの姿そのものだと思いませんか?
ところで!
ここでいきなりクイズです!!
Q,親が子育てをしていく際に、意外に見落としがちなある部分が描かれています。それは一体、この歌詞のどの部分でしょう?
わたしが思う、親が最も見落としがちで、かつ、それが自立の一歩であると思うのは・・・・
「自分とは何で」の部分。
【「自分とは何か」をきちんと知ることが「自立」への第一歩】
だと、強く強く思うのです。
でも「自分とは何か」を知るって、とても難しいことですよね。
大人になっても、何ならこの世を去る直前まで考え続けるテーマかもしれない程に、とーっても難しいことだと思います。
ですが!
実は人間って
この「自分とは何か」という問いを、
なんと!
生後6か月から始めるのだそうです!!
「自立」への第一歩、アイデンティティの確立のスタート地点に立つのは、そんなに小さい頃から始まっているのです。
驚きですよね。
(※もちろん、この生後6か月ころの自己認識というのは、哲学チックなものでもなければ、悩みを持つことでもありません(笑)この手が自分のもので、この動くのは自分の足の指なのか!という「自分」の発見をしていくという意味です。
生後6か月までは、自分の身体と外界との境目が非常に曖昧で、手の指もオモチャと変わらない存在として捉えられます)
ーーーーー
誰に教えられるでもなく、ごくごく自然に始まる自己認識への道のり。
だからこそ、そこに親の落とし穴があるのかもしれません。
つづく