ふうちゃん、天国へ

 

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天国に旅立ったふうちゃん

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かっこうの玄関でお出迎えし、授業中もピーチクパーチク元気にさえずっていたインコの風(ふう)ちゃんが、先週突然天に召されました。

 

翌朝7時。わたしたち家族4人全員で、みな泣きながら庭にお墓をつくりました。思いきり鼻水垂らして泣きました。4才の次女も号泣でした。

 

この、死を「受け入れる」時間が、次に進ませる力になったのでしょう。

 

長女が幼稚園から帰って、開口一番こう言いました。

「晴(せい)ちゃん、ひとりぼっちでかわいそうだね。お友達を連れてきてあげたいね」と。

 

たくさん泣いて、死んでしまったことを受け入れることができたから、彼女は明るい方へ進んでいるんだろう。そう感じた瞬間でした。

 

 

どんな場合であっても【「受け入れる」から全ては始まる】のです。

 

 

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二重の意味

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【「受け入れる」から全ては始まる】には二重の意味があります。

 

➀「受け入れる」。だから、始めることができるんです!という意味。

➁「受け入れる」というところが、やっとスタートライン!ですという意味。

 

まず➀ですが、これは昨日までにも何度もお伝えしているように、どんな苦しい場面や拒絶したい出来事に出会っても、受け入れることができないと、何も始めることができません、ということです。

お薬を飲めば症状が緩和する子もいます。本気で向き合えば、大人の話を聞いてくれる子もいます。ですが、問題自体から目を背けていたら。

 

「このまま様子を見ます」

「これまでも、こういう子でしたので」

「大丈夫ですよ、家では困ってませんから」などと

何一つ、その子にとって有益な対応をしてあげることができません。

 

親はきっと、事実を事実として受け入れたら傷ついてしまう自分自身に無意識に気付いているのですよね、だから怖くて怖くて遠ざかりたくなるのだと思います。だから、「愛」とは、自分をこわしてでも他者(例えば子どもやパートナー)のために行動できる力のことだ、と話したんです。(数日前のアンパンパンの記事のところです)「受け入れる」というのは、親が今までの自分を捨てて、子どもを守ることでしょ?これ、すなわち「愛」なんですよね。

 

 

そうして「受け入れる」がきちんと完了されることで、➁やっとスタートラインに立って、全てが始まるのだと言えます。

 

「この子の育て方は、どうやら今まで間違ってきたんだな」

「これは、まぎれもなくリストカットなんだよな」

「うちの子は例外だと思ってきたけど、れっきとした不登校児よね」

 

こうして受け入れるから、「さて、それならどうしようか」という課題に踏み込めるようになるのではないでしょうか。

 

 

【「受け入れる」から全ては始まる】

 

 

困難や壁、子どもの問題を乗り越えるには「受け入れる」ことが必要不可欠です。

 

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いま、晴(せい)ちゃんのとなりには、タンポポ色をしたインコのポポちゃんがいます。「死」の悲しみにどっぷり浸かった我が子たちは、以前よりもよく声をかけるようになりました。

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