欲求を満たすという愛

 

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ワガママと欲求

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赤ちゃんには赤ちゃんの、2才には2才の、16才には16才の「欲求」があります。昨日、わたしはこんなふうに言いました。

 

【大事なことは「子どもの欲求」なのであり「大人の要求」ではありません】

 

と。

 

欲しい時に欲しいミルクを与え、褒めて欲しいときに褒めてもらい、慰めてもらいたい時になぐさめてもらい・・・

 

服を着せてあげ、忘れ物を届け、読書感想文を代わりに書いてやり、絵の具のパレットを洗っておいてあげ、部活の道具の手入れをしてやり、高校を選んでやり・・・

 

 

え??ん???

 

 

ちょっとちょっと!!と思ったあなた、大正解。

 

そう。

昨日わたしがサラリと言い放った

【大事なことは「子どもの欲求」なのであり「大人の要求」ではありません】

これって、とても難しいのです。

何が「欲求」で何が「ワガママ」なのか?そこを見極める親の感受性が育っていないと、親は単なる子どもの家来になってしまいます。

 

【「欲求」は満たし、「ワガママ」は成敗する】

このバランス感覚を身に付けるには、わたしは1つの方法しかないと思っています。

 

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子どもの立場に立って

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バランス感覚を身に付けるには

【いま一番どうすることが子どもの成長につながるのか】

ーこれを、親として考えながらも子どもの立場で考える、という作業を繰り返す。これに尽きると思います。

 

言葉の話せない乳児期から、うまく伝えられない幼児期、あまのじゃくだったり本音を隠したりするようになる児童期、無表情だったり何も話してくれなくなったりする思春期・・・・と、いつも、いつまでもよくわからない子どもの本当の「欲求」。

でも、そこにある本当の「欲求」が何か?を探る習慣をどれだけつけてきたかが、親のバランス感覚・感受性を育てるのだと思います。子ども主体で考えて来たお母さんと、お母さんの願いが先に立って育ててきた場合とでは、数年後にはそのバランス感覚に大きな差が出るでしょう。

 

いつもいつも、この子は何を求めているんだろう?と子どもの立場になって考えてくれば、「なんかちょっとおかしい」「ウソをついてる」「元気がない」「今日が喝を入れるタイミングだ」「甘えたりないのね」そんなことが、子どもが言わずともわかるようになってきます。

 

「勉強しなさい!」が上手くいかないのは、満腹の赤ちゃんに「オッパイ飲みなさい」と無理矢理オッパイを差し出すのと同じです。【大人の要求】からは、愛は生まれないのです。愛着/アタッチメント(心理的な絆)の形成も上手くいかなくなってしまいます。

 

【大事なのは「子どもの欲求」であり、「大人の要求」ではない】