見せかけのお寿司

 

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なぜ幼いうちからなのか

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わたしには、実は小学校教員時代から感じていたことがあります。それは、小学生でも遅いかもしれない、ということ。漠然としすぎて伝わりにくいかもしれませんが、つまり何を言いたいのかと言うと、人間の土台を後からつくろうとするのは難しいよね、ということを言いたいのです。

 

小学生のうちに、問題が表出してくれればまだ良いし、親や周りが素直に受け入れることができることが何よりの改善につながると思います。しかし、中学生になってから、高校生になってから、社会人になってから、もうまるで噴火のごとく突然現れることだってあります。よくニュースで聞きませんか?「なんであの優しかった子が」とか「ごく普通の子でしたよ」「あいさつもちゃんとするし」と。

 

だからわたしは思います。土台のところをちゃんと育てること、育て直すことに、全精力を注ぐべきだと。

 

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お寿司を食べていて

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急に「お寿司」?!まぁちょっと聞いてください。

土曜の幼児クラス体験会は、わたしにとってビッグイベントでしたから、それを終えて家族でお寿司を食べに行きました。

そこで思ったことが――

 

(あぁ・・・、人もお寿司も同じだなぁ~)

 

お寿司の定義はこうです。

【寿司】 酢飯と主に魚介類を組み合わせた日本料理である。

 

酢飯の上に、もうこれ以上ないくらいにイクラ・ウニ・カニ・アワビ・大トロなんかをドサドサ乗っけて「すごいでしょ~!これ1貫1万円ですよ」なんてお寿司があったとしますねぇ。

それを見たお客さんには乗っている高級で贅沢でキラキラした具材しか見えませんから、なるほど~と思うでしょう?

 

でね、その具材の下の酢飯にあたるところが、酢飯ではなくて普通に炊いた白飯だったらどうですか?それは、1万円の「お寿司」ですか??なんなら、もっと極端に、白いスポンジだったらどうですか??

 

シャリのところって、見えにくいし、あんまり注目されないですよね。むしろ、お寿司なんだから当たり前に酢飯だと思われている。この酢飯が上手い!と言って食べる人ってかなり少数派だと思うんです。

 

でも、その酢飯がないと、上にどれだけ良いネタをのせたところで「お寿司」にはならない。ネタは、あとからいくらでものせられる。でもシャリがしっかりしてないと、全体が美味しくならない。

 

人間も同じ。

生きる上で必要な土台を、しっかり積み上げていくこと。

「見せかけのお寿司」にならないように。