たくましさがないと
1、自分の命を大切にできなくなる
2、生きている心地がしなくなる
についてお話をしています。
1、については、これまでお話してきた通りです。その時その時に「たくましさ」を育てていないことが、ゆくゆく大きな問題を生み、自分の力で生きていくことに困難を生じさせるといったお話でした。
さらに、それは個人的な「死」のみならず、国家としての「死」にも繋がりかねない、ということについて昨日までお話をしました。
今日からは「たくましさ」がないと
2、生きている心地がしなくなる、という面について、お話を続けていきます。
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虐待された人の感覚
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生きている心地がしないままに育つことを強いられた子どもたちがいます。虐待された子、被虐待児です。大人になってからも生活に困難を抱え、精神状態が不安定になってしまいます。
かなり前になりますが、虐待された方について書かれた本に出会いました。実際の被虐待児について、医師などとの関わりを通して生きやすさを取り戻していくまでのプロセスが如実に描かれています。
わたしは、その本で、はじめて知ったことがありました。
また人間の心理についてもっと勉強しなければ、とその奥深さや複雑さを感じることにもなりました。
それは何かと言うと・・・
被虐待児は
「死にたい」と思わない
ということ。
「死にたい」のではなく「消えたい」と思うのだと。
「生きている」と思ったことがないから、「死にたい」とも思わなかった。「生きる」もわからない、「死ぬ」もわからない、・・・そうおっしゃるそうです。自分という存在を認められず、また自分の思いのままに、主体的に生きるなんて許されなかった被虐待児は「生きている心地」を微塵も感じることなく育つのです。
自分の心をないがしろにされ、自分の存在感やここに居る意味、価値を知らされずに日々を送ってきた人たちに、たくましさは感じられません。とても生きにくい生活を強いられます。
もちろん「生きている心地」など味わったことはないでしょう。実際、「はじめて生きていることがわかりました」と医師に告げるシーンも本で紹介されていましたが。
この虐待のお話は、自死や引きこもりや犯罪と同様、自分とは縁のないように思えるでしょう。ですが、今までお話してきた通り、問題なのはその‘度合い’です。生きながらにして死んでいるような人生になっていないか?という話をしているのです。
そして、わたしが問題視しているのは、むしろこちらです。
生きているのに、生きているんだ!というエネルギーを感じられない覇気のない子どもが、どんどん増えているような気がしてなりません。
さて「生きている心地」が生まれるときって、どういう時でしょうか。どんな風にしたら「生きている心地」を最大限味わった人生を送ることができるでしょうか。