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何かを頼る子どもたち
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自分で自分のことを決められない、考えて行動できない、そんな子どもについて見聞きします。メディアや実体験を通してみても、子ども(若者)全体が以前にも増して、この問題を抱えている印象があります。
わたしは、これを「現代っ子の3ナイ症」と呼びます。考えナイ・決められナイ・動けナイ。
たくましさがないと、事実的に死に向かうのだ、というお話をしてきました。「何にもやりたくない」「食欲がない」「学校に仕方なく行く」「夢中になるものがない」「字に勢いがない」などという小さな表れの行く先に、「不登校」「ニート」「引きこもり」「自殺未遂」「暴行」「ドラッグ」などの大きな問題が待っていて、肉体的・精神的に自立できないことが、ゆくゆくは「死」に向かうというお話。
補足しておきます。
今後、日本が今現在のような福祉制度の整った国のまま維持できるのかどうか、わかりません。年金制度もしかり、生活保護制度もしかり、です。すべての日本人が国家のために、今後お金を生み出す仕事人にならなければ、日本という国自体の存続も怪しい。・・そんなふうに考えているわたしは、生まれ持った能力を最大限を世のために生かせるようにしておくことが、今後ますます必要となる、と思っているのです。
(※「生まれ持った能力を生かす」という表現について:身体的や知能的な理由等において、社会でその方々を守る仕組みは必要です。そのような方に対して、軽蔑や差別的な考えを持って表現しているわけではありません。すべての人が、与えられた能力の中で最大限生かすべき、という意味です。)
考えられナイ・決められナイ・動けナイ子どもたちが、社会の担い手になったときのことを。
すでに、そこにはお手本となる社会は存在せず、自分たちの力で創り出すことを迫られたときのことを。
もう少し、真剣に考えるべきときが来ていると思います。
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散歩中のおじいさん
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玄関先に小さな黒板を出しています。書きたいメッセージを気の赴くままに書いているのですが、先日ワンちゃんのお散歩をしているおじいさんに、その黒板を褒められました。「いいこと書いてあるよね」って。
話が盛り上がって、しばらく立ち話。おじいさんは、わたしの発した「このままでは日本が危ないですからね、学力だけじゃだめなんです、そう思ってやってます」の言葉にハッとした表情に。「そうなんだよ!!」「いまの若者はどうして」「いまの子どもには・・・」と熱弁されていかれました。
「昔はもっと、自分でこうしよう、ああしようってできたんだよ。学歴関係なくさ、やりたいことやって。自分で自分でって・・・」と。松下幸之助さんのお話もされていかれました。
長年生きてこられた方だからこそわかる、時代の変わりよう。そして、日本という国への愛着。5分足らずの立ち話に、また刺激を受けた朝でした。
話が広くなってしまいましたが、個人的なレベルの問題ではなくて、国家レベルで「たくましさ」について考える時が来ている、ということをお伝えしたく、今日の記事を書きました。
さて、わたしは明日もくどいくらい「たくましさ」のお話を続けます(笑)