デジタル的思考が及ぼすもの

 

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動物的な勘とデジタル

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感性とか勘って、何とも説明できないものでしょう?

ここで思い出していただきたいのが、デジタルとアナログのお話です。

いま、わたしは、親としての勘つまりアナログのお話をしています。

 

以前も記事にさせてもらったように、デジタル思考とかアナログ思考について考えることは、これからの時代を生きる子を育てる上で、考えておくといいです。

 

デジタルとアナログのちょうどいい塩梅を自分のなかで持つ力というのも、これから先必要なスキルの1つではないでしょうか。(AIに人間が操作されないように、だとか、スマホに人間のほうが生かされているとか、そういった危惧は耳にしたことがあると思います)

 

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なぜアナログを見失ったか

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なぜアナログを見失ったか?と言えば

 

ずばり、デジタルな環境が社会を覆うようになったからです。

 

答えを教えてもらう事が当たり前の教育を受けた親に、ほとんど変わらない教育を受けてきた私たち親世代。

 

わかりやすく一言で表すならば、今までの教育は‘1つの問いに1つの答え’だったのです。むしろ、それしか許されませんでした。…ですよね?

地域社会もルールもそう。ちょっとでも、はみ出すことが許されなくなりました。おばあちゃんから先代の味を受け継ぐとき「だいたいこんな感じ」で覚えることも少なくなくなりました。よくわからない、八百屋さんの気分次第のオマケをもらうこともなくなりました(笑)

 

窮屈までのルールの中で現代人は取り囲まれて生きているようです。

ですから、あっという間に社会全体の空気がわたしたちを「デジタル的思考回路」へと向かわせてしまった、と言ってもいいのかもしれません。

 

動物的でアナログ的なユラユラ曖昧なものを取り去ることの良さだけが、独り歩きしてしまったのですよね。

 

 

◎今日のキーポイント―――――

答えはもう既に、自分の知らないところで1つに決まっている。そして覆せるものではないーそんな窮屈なほどのルールの中でデジタル的思考は定着してきた。

 

つづく