本当は「モンスター」なんていない

 

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教員時代から悲しかった

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「モンスター」だなんて呼ばなければいいのに。

教員をし始めたのが、約10年前。ちょうどモンスターペアレントという言葉が出始めた頃でした。

 

道理の通らない批判や文句、罵倒、電話での誹謗・中傷。理解に苦しむ苦情。わたしにも、ここでは言えないような事例もあります。まあ、教員としての禊(みそぎ)というのか洗礼というのか・・・ですね。でも、決して「モンスター」だと思わないようにしていました。

 

「モンスター」と呼ぶから「モンスター」なだけだ、そう考えていたんです。敵に思うから余計敵になるんだと。身の危険を考えねばならないほどの修羅場もありましたが、それでも、その親を責めることや説得することが解決につながるとは思えませんでした。そして何より、今も「モンスター」と呼ぶことが悲しいので、わたしとかかわるすべての保護者に「モンスター」は生まれません。

 

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攻撃の裏側に

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攻撃って、守備の裏返しなんですよね。子どもや自分たちを守りたいーその気持ちが強いから攻撃に出てしまうのです。

でも守り方を間違ったり、もともとガードが薄っぺらくて頼りなかったり、大きな攻撃を受けたように感じる人であったりするから、攻撃に出やすくなるだと思います。

 

でもね・・・・

 

自分を守るのはまず自分。

 

自分を守るのは自分。この感覚が抜け落ちてしまった現代人の姿が「モンスター」と呼ばれる親となって出現したのではないか。そう思えてなりません。

 

ネガティブ感情や酷い災難に巻き込まれたとき、誰かのせいにしないで自分のなかで耐え忍ぶ。暗い感情と向き合い、徹底的に戦い抜く。自分で自分のことをどうにかする力です。

 

それが、一番の守る力になります。

他人を攻撃しなくて済む、本当の守備の力というものです。