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禁句

写真は、

『どんな方法でもいいから新聞紙から三角形を切り出す』という課題の3番目に出たアイディア。

「今までの方法と全く違うものを生み出すためには、それまでを全部捨てる事だ、と教え、ものさしを片付けてみた瞬間に思いついたものです。

 

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かっこうでの禁句

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何度もお伝えしていることですが、かっこうでは、いくつか禁句があります。

「えー」

「わからない」

「どっちでもいい」

「無理」

「どうせ」

このくらいでしょうか。

 

どれも、主体性とやる気を感じられない言葉です。思っていても口にしない方がいいし、なんなら、頭の中からなくなったほうがいい言葉だと思っています。

 

なーんて言うと「かっこうってスパルタなわけ?」なんて言葉が聞こえてきそうですが、そうではありません。ポジティブに生きるためのクセをつけてもらいたいとの思いからです。

 

それから、対応力。予想外に対応できる力を身に付けたいなら、上記のようなマイナスワードを出していては身に付きません。

1日中お仕事している男性の方が、この話は伝わる気がするのですが、立場が上に行けば行くほど、一瞬で決断しなければいけない場面に追い込まれることが増えますよね?即判断・即行動ができるかどうかで、その人のキャパが見えたりします。

 

立場の話だけではありません。いわゆる世間的に責任の重い仕事を思い浮かべてください。消防士・政治家・教師・警察官・社長・裁判官・医者・・・・・

「無理」「どっちでもいい」「えー」なんて言えないですよ。自分の意思や自分なりの着地点が見えている人、覚悟した人は「えー」「わかりません」って言いませんね。

 

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みんな責任は重い

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いや、それならうちの子は、そんなに責任の重い仕事に就かないと思うから大丈夫。人並みの生活ができれば。ましてや、女の子だし・・・なんて、こんな感覚が日本中に蔓延していることにわたしは危機感・・・を通り過ぎて、恐怖感を覚えておりますが、これからの日本を考えた時、もうこんなのアウトです。生き残れません。

 

どの子も重い責任を背負っていくに決まっているんです。だって、人口が減るから。少ない人数で日本国を背負うのだから、一人一人の意識がハンパなものでは、国が滅びてしまうのです。

 

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精一杯生きることを教える

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先日友人に会ったとき「松岡修三みたい」だと言われました。わかりますか?元テニス選手の熱血で有名な松岡さんね(笑)

「そうね、あと250年くらい生きないとやりたいことが終わらない」と答えたら、絶句されました。

 

当たり前に生きられる日本人。例えば、もともとは健康に生きることを願うことを目的としていた七五三。それが今や、かわいい写真撮影のためのイベント化している現代。

 

「死」への恐れがすぐそばにあったから「生」への感謝と尊厳があったのです。「生きる」を考えるとは「死」を意識することでもあるのです。書き初めでもピアノでも、何でもいいんです。それ自体に意味はありません。なわとびも、鍵盤ハーモニカも、それ自体が出来たからと言って、ほとんど何の意味もありません。

 

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ただ、精一杯取り組む、そこに意味がある

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最近の子どもたちは「努力は才能だ」と答えるパーセンテージが高いのだそうです。努力できる人間と、努力できない人間とがいる。努力できることも才能だと感じているらしいのです。

驚きました。エジソンの「1パーセントの才能と99%の努力」の言葉は「100パーセントの才能」ってことになるじゃないですか!!

 

鼻水垂らすくらい泣いて、震えるくらい緊張して、血が逆流するくらい歓喜するなんて経験を、子どものうちにさせておきたいものです。

 

精一杯のやり方、とでも言うんでしょうか?一生懸命になる方法、でしょうか?そういうの、大事にしたいです。