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「ごめんなさい」がなくて

 

単発のつぶやき・第2弾!

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「ごめんなさい」がなくて気持ちよかった日

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下の子は年少さんです。ある日、お友達と一緒に雑草の実(ジュズダマって知ってますか?)を採りに出かけました。

 

その帰り道で分かれ道がありました。すると、うちの子は真っすぐ行きたい、お友達は右に行きたい。

 

よくありますよね、こういうシーン。

 

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お互いの母親が言った言葉は・・・

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「〇〇ちゃんと、ここで別れることになるけどいい?」

すると、子どもは両者ともに「うん」と答えました。

「じゃあ、またね~!今日はありがとー」

 

これだけ。とてもシンプルだと思いませんか?

 

子どもに我慢させることもなく、親が「ごめんね、ワガママ言って」と子どもの代わりに謝ることもなく、まして子どもに謝まらせることもなく。「あんたが我慢しなさいよ」「いいのいいの、うちのだって!ほら、一緒に帰ろ?ね?なんで仲良く帰れないの?」「そんな、いいんだって、突然言い出したのうちの子だもん!もう!ほら、〇〇ちゃんと歩くよ」っていう母親同士の会話・・・ありませんか?(笑)

 

それが何にもなかったことの気持ちよさ、爽やかさがありました。

 

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「子ども尊重」✕「子ども尊重」

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「こっちの道を歩いてみたい」ー小さな主張です。でも、子どもにとっては、ひとつの選択。意見です。それをお互いの親が当たり前のように尊重してやり、意味もなく相手に合わせようとしなかったからできたことです。

 

こんなワンシーンで、そこまで考える?って思うかもしれませんが、ほとんどの場合、お母さん同士の会話には‘怯え’が混じっているような気がしています。「嫌われないように」とか「平等にしとこう」とか「子どものお友達を叱ったら、後々どうなることやら」とか。でも、お互いにそれが全くなかった。

 

久しぶりに、心から気持ちの良いやりとりでした。

「ごめんなさい」を、子どもも親も使わずに(だって誰も悪くない)さっぱりとバイバイできたことが、わたしにはとても嬉しかったのです。(そういうお母さんだと知っていたからできたことでした!この場を借りて感謝!)

 

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‘怯え’のしわ寄せは子どもへ

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子育て支援センターなど、どこへ行ってもそうです。たいていのお母さんは謝りまくっています。子どもに謝らせることなく、自分は子どもの代わりに謝っている、そんな光景を見かけてはため息が出ます。

「このオモチャ、〇〇くん使いたいんだって。貸してあげな。どうして優しくできないの!」

借りたい方も、貸したくない方も、両方のお母さんが焦っている。お互いの圧を感じながら、なんか謝りまくっている。

母A「うちの子、いまは遊びたいみたいで〇〇くん、ごめんね」

母B「あとで貸してもらおうね」

貸したくない子ども。借りたい子ども。どちらも悪くはありませんよね?しわ寄せを食らうのは、素直なきもちを言っただけの子どもです。

 

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最初に使ってた方はどちらですか?

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いたずらに我慢を覚えさせるのでもなければ、優しさを学ぶわけでもありません。そこで学ぶのは「社会でのルール」です。先に使っていた方の子に優先権はあります。はじめに住んでいたアパートの住人を追い払って、後から来た人が住めるなんてことは、社会的に許されないでしょう?

だから、先に使っていた子が優先されて然るべきです。

 

「いま使ってる子がいるから、終わったらぼくに貸して」(本当は今すぐがいいけど我慢だ)

「うん、いいよ」(本当はずっと遊びたいけど我慢だ)

これが言えるように、両者の子どもに頑張ってもらえばいいのだと思います。

 

お母さん同士の、派手な「ごめんなさい」のやりとり。

なくなるといいなぁ・・・・