「自分を知らないことで、子育ての問題を生じやすい。」
わたしが、このテーマに入って一番初めに言った言葉です。
自分を知る。このことを「自己(アイデンティティ)の確立」と言います。自分が何者かを知り、どんな特性があり、どんなことが苦手で何が得意で、どのくらい頑張れるのか、どんな方法で立ち直ることができるのか・・・といった、自分の取扱説明書をしっかりと持っていること。
それが、自己が確立された状態なのだろうと思います。
もう答えを言ったのも同然なのですが、では、自己確立がされていないことでどんな困難・生きづらさが出てくると言うのか?。
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今から、あなた自身を1つのボールだと思ってください。ボールに擬人化してお話を進めます。よくわからなかったら、何度か読んでみてください。
今日のお話には、とてもとても重要なポイントがいっぱい散りばめられています!!
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◎には困難なポイントを書いていきます。そして、それに続いて◆には人間に置き換えたときの説明を書いていきます。では、始めます。
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◎そのボールを使うべき場所を知らなければ?
⇒使ってはいけない危険な場所で遊んでしまう可能性があります。また、一番よく跳ねる場所もわかりません。
◆つまり、自分自身にふさわしくない場所に行ってしまう可能性や、居場所を間違うことも起きます。自分に合う職業を見つけられない、自分に合う友達の輪へ入れない、自分がその場で発揮できる力がわからない、集団で何かに取り組むときに自分の出どころがわからない、など、自分のつかい方がわからない、ということが起こります。損です。
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◎そのボールの大きさを知らなければ?
⇒どのゴールに向かって転がって行っても、そのゴールに入るかどうかは、進んでみないとわからないですね。穴にハマるかどうかも、やってみないとわからないため、回り道によるエネルギーの浪費や空回りが起こります。
◆つまり、自分自身の大きさ(限界)がわからないと、自分に適した目標設定が難しくなります。大きすぎる目標では、打ちのめされる。小さすぎる目標では手応えがない。せっかく何かにチャレンジしても、どちらも自信をつけることにはなりませんね。もったいないです。
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◎そのボールの表面がボヤけていれば?
⇒「自己確立されていない」=「自分の姿・形が曖昧」ということになりますから、外界との境界線もボヤけます。まわりの空気と一体化しているような、透けてみえるような不思議なボールを想像してください。
◆つまり、ボールは自分。空気は他人。その境界線がボヤけるとは、自分と他人との境界線が曖昧になることを意味します。自分は他人と一緒。他人は自分と同じ。同じでいてほしい。きっと同じなのだと思う。他人にわかってもらいたい。そして同化すると安心する。他人がわかってくれないのはおかしい。わたしと違う人は敵。わたしの気持ちを理解できないなんて、どうかしてる。
矛盾しているようですが、わたしとみんなは同じはずだから、それなのにわかってくれない人なんて敵。そんな感覚で生きていかなくてはなりません。とてもつらいと思います。
つづく
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