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神様がいなければ、わたしはいない

 

このブログを読んでくださる方は、とても賢い方ばかりです。

そして、理解力がおありで、子どもに愛情をたっぷり注げる、とても情に溢れた方ばかりです。

あなたが「そうかなぁ?」と首をかしげていても、わたしはいつも多くの親子を教育的視点で見ているので、かっこうやわたしに興味を持ってい下さるお母さんに、そんな特徴があることを知っています。

 

少し占い師のようなことを言いますが、わたしはこの1年ですごい力を身に付けました。それは、服装や3分ほどの会話で、その方のだいたいの教育観がわかり、かっこうの教育方針(とても大事な!これからの教育の姿!)をわかって下さるかどうか?まで、おおよそわかってしまう、という力です。(酷いようですが、そういう方にはわたしは声もかけません。その方にとって、わたしの話は耳障りで迷惑なだけだから。)⇒※教育的な話、という意味です。挨拶や世間話はしますよ!

 

・・・と前置きが長くなったのには理由があります。

 

今日・明日のお話が、ちょっと嫌味に聞こえる可能性があるからです(笑)

ですので、信頼のおける方にしか伝わらないかもしれないな~と、ちょっと恐れながら書いています。

 

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さて!

 

「神様がいなければ、わたしはいません。」

 

「神様はいるということにしておいたほうがいい」3つ目の理由、それは、人を強くしてくれるからです。わたしは、神様がいるおかげで、知らないうちに自分を強くしてもらえると思っています。

 

人の美しさを決めるのは、誰も見ていないときにどれだけ苦労し、涙を流し、悩みもがいているかだというのが、わたしの考えです。人に見せた瞬間、その尊さはガタ落ちだ。見せないから、かっこいいんだ。ーこれは、小学校5年生の時からずっと持ち続けている感覚です。

でも、1人で頑張るってとっても孤独だし、誰かに見ていてほしいときもある。それに、自分のことすら信じられないほど苦しいときだってある。でしょう?

そんなときに、神様はそっと支えてくれるんですよね。わたしが、神様を自分の身体に「住まわせている」と表現したのは、こういう感覚があるためでした。

  

つづく