タイミングよく、神様が物事を運んできてくれている感じがすることってありませんか?ちょうど欲しいと思っていたものをもらえたりする、なんてこと。
昨日わたしは、まさにそんな体験をしました。
なんと、このブログテーマにぴったりの新聞記事(5センチ四方のとっても小さい記事)が、大量の新聞の切り抜きの中からハラハラと落ちてきたのです!(わたしは毎日の新聞記事から教育・子育てに関するものだけを切り抜いて保存しています)
ちょっと載せます。(以下 2017/06/18 静岡新聞・抜粋)===
誰かが見ているという意識を根拠にして、だからやらないんだという振舞い方は、私はちゃんと残しておいていい人間の姿だと思う
-村上陽一郎
「お天道様」でも市井の人でもいい、自分よりすぐれた存在のまなざしを感じるということが、これだけはすまい、やりたくてもやらないという感覚を育む。
ー鷲田清一
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村上陽一郎さんとは?
鷲田清一さんとは
鷲田 清一(わしだ きよかず、1949年9月2日 - )は、日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。京都市立芸術大学理事長・学長、せんだいメディアテーク館長。関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。 2015年4月より京都市立芸術大学理事長・学長を務めている。
<以上Wikipediaより抜粋>
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今日は「神様はいることにしておいたほうがいい」の第2弾。
2つ目の理由は、目に見えないものを信じられる体質にしておけるから、です。神様は目には見えません。神様のような恰好をした銅像や絵画はありますが、実際に神様と住んだことがあるという人はいません。神様と写真を撮ってインスタに上げることもできません(笑)
目に見えない最たるもの、それが神様です。そんな神様を信じるということは、目に見えないハッキリしないことでも信じられる、ということだと思います。
かっこうの保護者さんは、かっこうの教育方針そのものだとお感じになられるかもしれませんね。目に見えないスキルを育てることに特化している塾なので。
さて、目に見えないものってどんなものがありますか?
情熱・愛・思いやり・未来・時間・相手の気持ち・サンタクロース・命…
いろいろありますよね。
この曖昧さの許容量って、人によってすごく差が出る部分だと思うんですが、わたしは、グレーを認めたりファンタジーをファンタジーとして生かしておける心のキャパシティーって、生きる上でとても大切だと考えています。
恋人の愛を、もらうアクセサリーの金額でしか確かめられない人って、どうですか?(目に見えるものしか信じられない世界)
この木の幹はいくつの季節を巡ってきたのだろうかと思いを馳せられる人って、どうですか?(答えなんて誰も知らないけど、その曖昧さを楽しめる世界)
目に見えないものを信じるとは、曖昧なものを許容し、そして想像力を掻き立てること。
神様、いることにしておいたほうが、何かよくありませんか?
「神様はいるよ。目には見えないけどね。」
つづく