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これこそ「生きる力」になる

 

営業マンになったとしても、ピアニストを目指したとしても、建築家でもフローリストでも陶芸家でも何でも。

 

人が人のなかで生きていく中で「伝える」力というものが、今後ますます求められるようになってくると、わたしは考えています。

相手が何を求めているかを察し、それにいかに応じていけるか、だと。

AIが発達する未来社会においても、‘察する’だとか、‘ちょうど良い加減で応じる’というのは、人間にしかできないだろうという思いがあります。

 

そんなスキルは目には見えないし「あなたの伝える力は何点です」と数値化するのも難しいけれど、でも、これから先の「生きる力」になる。

 

だからわたしは、子どもの言葉がいくら拙く、うまく表現できないとしても、相手に伝える努力はさせたいと考えています。我が子も、かっこうに通う子にも「伝える」ということを教えます。

 

「それじゃ、わからない」「今、あなたがどういう顔してたか真似して見せるね。どう思う?」「思っていても言わないのは、言ってないのと同じだよ」「それなら、こう言った方がわかりやすいよ」などと、ハッキリ伝えています。相手がいるんだ、周りに見ている人がいるんだ、ということを認識させるためです。

 

子どもが言いたいことを、大人がいつまでも代弁していては、その子の‘ことば辞典’のページは増えません。

または仮に語彙数に問題はないとしても、その使い方がわからないということもよくあります。経験が不足していること(大人が成長のチャンスを横取りしてきた可能性)が考えられます。

 

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今日、実はわたしはディズニーランドに行きました。ホテルからブログを打っています。

ディズニーランドでわたしは小学3年生くらいの女の子のマフラーを拾い、肩をポンポンとたたき「落としたよ」と教えてあげました。そのとき「ありがとうございます」と返したのは、その子のお父さんでした。

「ありがとう」を言うべきは、その女の子ですよね。もしも、いま言えなくても、あなたが言うべきだ、という教育はし続けたいものです。

 

 

では、そんな「伝える」力を子どもにつけさせるために、もっとも効果的な方法って何だと思いますか?

 

つづく