イジめた子を、いくら叱ったところで
何の解決にもならないことは
今までの内容を読んで下さればわかりますよね?
だって、イジメている子自身の心が
悲しみや孤独に苦しめられているのですから。
ある意味では、
イジめることを通して
愛を求めている、と言ってもいいでしょう。
とても見えにくい愛情欲求のかたちなのです。
せっかく賭けに出た愛情欲求の行為を
叱責や批判で終わらされたら、その後さらに深刻な
事態に陥るかもしれません。
わたしは、このことを
自分が小学生~中学生の時に学びました。
ありがたいことに、
わたしは幼いころから、人の心の有り様を考えないと
どうにもならないミッションが
わりと多く用意されていたように思います。
そんなわたしには小学校教員時代、
クラス全員がある一人の子を嫌う空気を
打破した経験があります。
ちょうどその子がお休みした日に
1時間授業をつかって
子どもたちと語り合ったのです。
その子が嫌われていた理由は
「イジワルするから」でした。
確かにクラス全員が、
その子にイジメられていました。
そして、その子がクラスみんなに
距離を置かれるようになっていました。
わたしは
その1時間のあいだに
実際に全員から苦しみを聞き出しました。
一人残らず、酷いイジワルをされていました。
しかし翌日、クラスの空気が変わりました。
多くの子が、イジメた子の周りに集まり
優しく接し始めたのです。
わたしは、何をしたと思いますか?
それは、こんなことでした。
「みんな悲しかったよね。つらかったね。
でも、いちばん悲しい人は、ここにはいない。
今日休んでいる〇〇さんです。」
わたしは、
イジワルしてしまう子の悲しみを
子どもたちに語ったのでした。
イジわるしなきゃ、どうしても生きていられない、
そんなイジメる人の気持ちを
考えたことがなかった子たちにとって
わたしの言葉は新鮮かつ猛烈に
心に響いたようでした。
教員という立場上、この行為が
どれだけリスキーであるのかは、
小学生をお持ちのお母さんであれば
おわかりだろうと思います。
「先生が、イジメる子を擁護した」と
訴えられてもおかしくないのですから。
しかも、クラス全員の子どもの親を敵に回した、
と言ってもいいのですから。
校長室に呼び出されて、テレビ取材を受けて、
処分を下されて、という怖さをはらんでいました。
ですが、そんな問題は起きませんでした。
ちゃーんと、子どもたちは、その1時間で
友達の心を思いやるところまで
考えてくれていたのでしょう。
***
人をうらやましく思ったり
イジワルしたくなったりしてしまう時って
あなたにもありませんか?
でも、そう感じた心を責められても
どうにもなりませんよね。
わたしは、イジメを容認しているのではなく
むしろ、イジメがなくなるために
「わかってほしい」子どもの心を「わかる」
という姿勢を持ちたいと思っています。
みなさんは、どう思いますか?