わたしの教室
「生きる力をつける学び舎かっこう」には
2クラスあります。
おもに4~6年生を対象とする
おおぞらクラスではいま
「あなたは30年後、あるまちのリーダーになりました。あなたが考える、そのまちの模型をつくりなさい」というプログラムを進めています。
合計8回の指導で完成させ、最後に発表する計画です。
一般的な学習塾とは、まったく違う学びのカタチが
かっこうにはあります。
学校の成績はすぐ上がらないです。
次のテスト結果も、学力も保証しません。
学校の成績さえ良ければ生きていけると
いまだに信じている親御さんは
どうぞ、わたしをお避け下さい(笑)
わたしは、
いますぐ上手くいくことを目的にした
指導をしていません。
子どもといっしょになって右往左往しながら
その集団・その子のスピードに合わせて
できるところまで持ち上げる
それが、わたしの仕事だと思っています。
とかく、先生というものは
「ここまでは!」というレベルまで
持っていくのがいいと考えて
必死で子どもの背中を押したり、喝を入れたりします。
親も親で、それが良いと思っているところがあるし
親ウケの良い出来栄えをしていれば
その先生に力があると思われやすいということは
重々わかっています。
(そっちの方が、めちゃめちゃラクだよ!笑)
でも、
それは間違っています。
そうした大人が求めた理想の影で
どれだけ傷つき苦しんでいる子どもがいるのか?
そして
目先の結果を求められた裏で
じわりじわりと勉強を嫌いになっていく子どもを
誰が助けてあげられるのでしょうか。
そこに気付いている先生こそ、
本当に教育を知っている人だと
わたしは考えています。
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おとといのおおぞらクラスでは
悩む時間、困る時間がありました。
そういうとき
わたしはじーっと手を貸さないでいることがあります。
そんな、
どうしていいのかわからなくなった時間があるから
そのあとの自分のひらめきや突破口が見えたときに
感動することができる。
その感動を
本人に掴ませてあげたいのです。
その感動は、自信となり
次へのステップになることを知っています。
仮に
もしもわたしが
親ウケのする、とても素晴らしい模型を作ることを
最終目的にしていたら
「あそこの塾に入れとくと
どんどんスゴイことができるようになるよ!」って
評判がよくなるかもしれません。
ですが
大人の用意した、すばらしい模型ができあがったとして
その子に何が残るというのでしょうか?
単に「やらされた」ものは
学びではありませんよね?
学びってのは、自分の手でつかむものです。
教わるものじゃないんです。
大人の理想や親の安心獲得のためだったり
先生と呼ばれる人自身の
力量を見せつけるために
子どもの本物の学びを奪ってはいけません。
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おおぞらクラスの保護者さま
おそらく、なかなか完成度の低い仕上がりのままで
発表を迎えます(笑)
でも、笑顔で受け入れてください。
子どもは、それまでの時間の中でものすごく大事なことを掴み取っているんだな、それに時間をかけたのね、と思いを馳せながら、温かい気持ちで見ていてくださいね!