わたしは、英語教室に通っています。
チョイチョイ英語をはさみながら指導したい為です。
夏のあいだはありませんでしたので
9月に入っての再開。
その日は11人がいて
その中に90分間、下を向いて
途中から寝ているような学生がいました。
そういえば
今までも何度かそんな姿を見たことがあって
どうしたものかと思って見ていました。
きっと
親に行くように言われて
ここへ来ているのだろうけども・・・
1年分の金額とその姿を照らし合わせると
もったいなく見えます。
帰りにエレベーターで一緒になり
声をかけてみました。
すると
「今日38℃熱があって」との返事。
「こないだも、39℃あって・・・」と。
「それなら、お休みすればよかったのに!」
わたしは、すかさずそう言いましたが
どうも
そこがうまくいかない様子。
休めない事情があるようでした。
短い時間だったので
どういういきさつで休めないのかは
よくわかりませんでしたが
人それぞれいろんな事情があるんだ
という基本的なことを忘れていた自分が
恥ずかしかったです。
多角的に見ることができる力って
やさしさにつながるんですよね。
「こうかもしれない」
「ああかもしれない」
「もしかしたら、そうじゃないのかも」って
ありとあらゆる可能性を想像できる、ということ。
もし想像できないとしても
「自分では想像できないようなことに
なっているのかもしれないな」って
思えるかどうか。
その想像力が人を思いやることになりますよね。
わたしのその学生に対する見方は
あまりやさしくありませんでした。
「ゆっくり休んでね」
わたしの身体から出る最大限のやさしい声と
できる限りの笑顔をプレゼントして
その学生と別れました。
もっとやさしい人になりたいと思った
水曜日の夜でした。