やってもらって当たり前心理とでも
言えばいいのでしょうか。
「ありがとう」を言わない背景には
相手がやってくれることを
当たり前だと思う、そんな心理が
はたらいています。
こう言うと
「お金を払っているんだから当たり前!」
と主張する人たちがいますが
わたしは
そういう考えを好みません。
そういった考えを訴えるということは
同時にその人自身が
「わたしはお金をもらわないと
人に喜ばれることはしたくないんです」
と言っているのと同じです。
おそらく
そういう考えでいると
日頃「ありがとう」を言われることは
少ないでしょう。
わたしたちは
「ありがとう」と言う代わりに
お金を払っているわけでは
ありません。
だから
金銭が絡んでいるかどうか、ではなくて
「相手のしてくれた行為や配慮が
決して当たり前ではないと感じること」が
「相手の気持ちを理解する力、つまり
コミュニケーションの基礎を育てること」
になるのです。
それから、昨日のブログで
その心理が「現代病」だと言ったのは、
次のような理由からです。
今の日本では
サービスが行き届きすぎるほど行き届き
やってもらえることが
どんどん増えていますよね。
何も考えずに過ごしていると
自然に「やってもらって当たり前心理」を
助長するような社会です。
人間は、慣れの生き物ですから
仕方のないことです。
消費者としての立場だけではなく
学校‐保護者との関係もそうでしょう?
親‐子の関係もそうかもしれません。
モノが豊かになり
当たり前に
モノや情報が手に入る時代になったために
当たり前にやってもらえることが
多くなっている気がします。
わたしは32歳です。
小さいころ、近くのスーパーは
お正月にお休みでした。
今は、営業していますし
コンビニだってあります。
当たり前の豊かさや
当たり前に受け身でいられることが
数えられない程たくさんあります。
ですが
それを「当たり前」として
生活していると
「感謝」を忘れます。
自分が何かしらの恩恵を受けている
ということは
誰かが見えないところで
努力したり気遣ったり
してくれているということです。
そのことを忘れない親でありたいと
わたしは思います。
「当たり前」なんてどこにもありません。
ためしに、目の前にあるモノを1つ決めて
それがあなたの手元に渡るまでに
何人の方が関わったのかを
想像してみるといいかもしれません。
そうすると
そこに金銭関係だけでは済まされない
人間の思いが必ず生きていることに
気付かれると思います。
「ありがとう」という言葉は
「これは、当たり前じゃないぞ」
と思っているときにしか
出ない言葉です。
いかに
「当たり前じゃない」思いがわかるか
いかに
知らない誰かの
「当たり前じゃない」気持ちを想像できるか
ーそのことが
「ありがとう」の心を育てていきます。
こんな時代だからこそ
当たり前に慣れて育ってきた親世代が
「ありがたい」という意識を
取り戻して生活することって
とても大事だと思いませんか?