なんでもかんでも
親が全て決めていいの!?
いいえ、
そういうことではありません。
肝心なのは
責任の割合です。
***
わかりやすいように、例を挙げてみますね。
4才の子が水泳を始めました。
「やりたい」と言ったので始めたのですが
ある日ー
子どもが「やめたい」と泣いている。
母親は「やめたいのに行かせるなんてかわいそう」
翌日ー
母親は電話で解約。
▶状況にもよりますが
4才の子どもに決断させるのには
荷が重すぎると思いませんか?どうでしょう?
親は解約ではなく
次のようなことをしたほうが良かったのです。
それはこんなことです。
↓↓↓
・なぜ「やめたい」のか?
・どこに、ストレスがかかっているのか?
・「やめたい」理由になっていることは
絶対に我が子に乗り越えられないことなのか?
などを注意深く見聞きして掘り下げること。
わたしは
ある程度、長期的な視野で
総合的に判断していくのが
親の役目だと思うんですね。
どう考えたって
冷静な判断を下せるのは
4才児の本人よりも
そばで見てきた親の方であるはずです。
肝心なのは
責任の割合です。
もっともっと親が「やる」「やらない」について
考えを深められた上で決めるべきだと思います。
一概に何パーセントと言い切れませんが
この場合なら80%90%くらいは
親が責任を取っていいと思います。
決定権を握るのは、確実に親です。
少なくとも
子どもの「やめたい」の一言には
決定権はない、ですね。
🐋つづいて、こんな場合はどうでしょう?
17才の高校生・夏の全国大会の前に疲労骨折。
子どもは「どうしても出たいんだ」と言っている。
親のあなたは、どうしますか?
この場合
親と本人のどちらが
どんな割合で責任を取るべきでしょうか?
わたしだったら
95%本人が責任を取ってもいいのでは?と
思うわけです。
だって17才ですからね。
今後に影響が出るのか出ないのか?
他のメンバーに迷惑ではないのか?
ベストな選択なのか?など
様々な視点で考えた上で判断を下せる年齢ならば
親がとやかく
首を突っ込む必要はないと思います。
要するに
肝心なのは
責任の割合です。
結果がどうであれ、本人に任せられると思えば
決定権を本人に握らせてもいいでしょう?
本人に任せられる分だけ
本人に責任を持たせる。
それが本当の尊重です。
「子どもを尊重する」というのは
子どもの意見をただ聞くとか
思いを叶えるということではないですよ。
*****
!!!おまけです!!!
「尊重」。
その対象は、子どもだけではありませんよね。
部下/仲間/チームメイト/同僚/妻/夫の尊重、
患者/被害者/地元民の尊重などなど・・・
いろいろな人を対象に「尊重」が叫ばれますよね。
わたしが、おまけで伝えたいことは
対象が変わろうと考え方は同じですよ、ということ。
いくら夫が賛成でも
いくら地元民が反対でも
いくら患者がNOと主張しても
いくらチームメイトが泣いて懇願しようと
感情的に
「服従」したり
「依存」したりしてはいけないのです。
そうではなくて
自分の意見をまず持つことを前提にしてこそ
お互いの思いを「尊重」することができる。
お互いの意見や主張をハッキリさせた上で
その後に起こり得る事態の責任について
誰が取れるのかを考えながら
決めていくこと。
それが「尊重」なのではないでしょうか。
つづく