個性を感じてみる

 

誰にも個性があります。

ない人間はいません。

 

ですが

 

そのせっかくの「個性」を

自分で見つけられない人

周りに見つけてもらえない人いる、

 

わたしはそう思います。

 

 

自分で自分の「個性」を見つけられない人は

「あるべき姿」を強要される環境の中で

自分の本当の姿を自由に模索できなかった

そんな育ち方をしていないでしょうか。

 

周りに見つけてもらえない人も同じです。

周りの大人が「あるべき姿」を求めすぎた結果

目の前にいる人間の素直な声に気付けないのです。

 

 

だから

気付いてもらえない。

そもそも「個性」を重視しようという考えが

大人の方になかった、と言えます。

 

それをも突き破るほどのエネルギーが

何らかのカタチで表出してくればいいのですが

 

子どもにとって、大人は「正解」。

間違いなく正しい、圧倒的な支配者、権力者

あることが多いです。

 

だから

 

なんか、矛盾してないか?

この人の言ってること、おかしいんじゃないか?

わたしは本当はもっと・・・と

薄々感じていたとしても

親や先生にNOの空気を出されたら、

子どもは自分が間違っているんだ、と認識します。

 

 

すると、そのうち

 

 

本当の自分が何なのか、

何が好きなのか、何に興味があるのか

自分がしたいことって何なのか

 

よくわからないまま大人になります。

親になります。

 

 

「個性」を尊重されて育っていないと

自分が親になっても

自分が何者なのかがわからない。

 

自分の生きる基準が自分なのではなく

他者から受けてきたものになってしまう。

 

 

そうすると、どうなるか?

わかりますか?

 

子どもの「個性」を見つけるより先に

「あるべき姿」を我が子

提案し続けるのではないでしょうか?

 

そう、自分がそうされて育ったように、です。

 

 

つづく