「授業を聞かないのは個性か」
非常に難しい問いだと思います。
わたしがもし、答えを求められたなら
ずるいかもしれませんが
「わからない」と答えます。
その子を見ていないから「わからない」と。
よその子なんてどうでもいい、と思わないでください。
あなたのお子さんがもし
急に学校を休み始めたら?
ネットの中で違う人格として生き生きとしていたら?
中3になっても人見知りが強くて
高校受験の面接に対応できそうになかったら?
「個性」と見るか「性格」と見るかによって
大人の対応がかなり変わってくると思いませんか?
個性は、生まれつきのものですから、
いくら周りが方向転換を図ろうとしても無駄でしょう。
しかも、本人にとっては苦痛でしかありません。
これは例えですが
伸びようとする背を無理やり縮めるとか
食べられない食材を喉に突っ込むとか
それほどの苦痛を与える危険性もあります。
しかし、です。
もし適切な対応をとることで
改善できるものである場合
「この子の個性ですから、どうすることもできない」
という決めつけがされたとしたら?
その時点から
その子の可能性の芽は、限りなく見逃されてしまう。
そうですよね?
ですから
「個性」か「性格」か?の問題は
そういった両面の危険性を持っているのです。
だから
その子をよく知らない場合は
「どちらなのか、わからない」
と答えるしかありません。
いいえ、
よく知っている場合でも
「どちらなのか、よくわからない」
と思いながら接することが大事だと思います。
もしかしたら「個性」なのかもしれない、
これはどうしても変えられないのかも、
いまの対応は押し付けにすぎないのかも、と考える。
そう思いながらも
もしかしたら「性格」なのかもしれない、
諦めなくてもいいのかもしれない、
まだ何か手立てがあるのかもしれない、と考える。
この二つを行きつ戻りつしながら
おおよその決定・決断を下していくしかないのでは、
と思うわけです。
わたしは、
周りの大人が
「個性」か「性格」か?の答えを
早急に出しすぎる怖さを訴えたいと思います。
特に、一番そばにいてほしい親が
どちらかに偏りすぎないことを
強く主張したいのです。
「授業を聞かないのは個性」だと言ったお母さんには
「本当に、どうにもならない個性なのか?」を
問いたいと、そう思ってしまいます。
つづく