できない部分も「個性」なのか?

 

昨日のブログで「個性」とは何か

考えていただけましたでしょうか?

 

「個性」の定義?

そんなの辞書を引いてみたらいい!なんて

考えた方、いらっしゃいませんか?笑

そんなの見たって、ピンと来ないのがオチだよ!

って思われる方もいるかもしれませんね。

そう、それが「個性」ですもんね・・・

 

ん?

で、その「個性」って・・・

 

とりあえず、広辞苑を紐解いていくとしましょう。

 

広辞苑には、こう記されています。

 

広辞苑(第6版)

「他人とは違う、その人にしかない性格・性質のことであり、その個人が有する特徴を意味する。」

 

ううん・・・

 

個性=特徴

 

だとすると、授業を聞かないのも

その子の特徴だから・・・「個性」か。

 

わたし自身は、昨日の子の話を聞いて

まずはじめに思ったことは

「それを個性というのは言い訳にすぎない」

という思いだったんですね。

 

授業を聞かないとか

友達をイジメるのを「個性」だもの、と

片付けるのは良くないでしょう、

って思いました。

 

 

そこで、次に浮かんだのが

 

「個性というのは、周囲に迷惑をかけない特徴」

つまり

社会的に「良い」とされた「長所」のような部分だけを

「個性」と呼ぶのではないか?

 

と考えるようになったんです。

 

ところが、そうすると

 

障害は個性か?とか、ですね

もし話を聞いてられないのが発達障害であって

本当に仕方のないことであったとしたら

 

いわゆるマイナスイメージを持つ特徴に対して

「個性」ではありませんね、って言いきれるのか?

 

ーそんな疑問が湧いてきました。

 

 

さて

 

「個性」ってなんでしょうか?

もう一度考えてみてください。

 

 

 

広辞苑(第6版)

「他人とは違う、その人にしかない性格・性質のことであり、その個人が有する特徴を意味する。」

 

 

つづく

 

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追加メッセージ

 

あなたに個性について論述しなくてはいけない日が来るとか来ないとか、そんなことは関係ありません。

 

わたしが、子どもを育てるときにとても大事にしているのは「子ども理解」です。

なぜなのか、どういうことなのか、どうしてそうなったのか、それが意味しているのはどういうことか?

いかに真実を知り、どこまで周りの大人が誠実にかかわるかによって、子どもの成長が大きく変わる。

 

だから「子ども理解」なのです。

 

わたしは、お母さんには、その子にとって一番の「理解者」であってほしい。

そのためには、お母さんが色々な子の姿をないがしろにしないで、深く考え、向き合うことだと思っています。