小学校の先生をやっていた頃の話をします。
夏休み明け。
気になっていたある男の子の顔が
すごく生き生きして登校してきたことに
驚いたことがありました。
わ!この子、こんなに笑う子なんだ、
こんなに優しい目ができるんだ、って
2学期のこれからの成長を
とても期待しました。
でも・・・
新学期が始まって2日、3日・・・と経つうちに
やがて笑顔が薄れてきたのです。
ガチガチに身体が固まった感じの
常に緊張感をまとった
いつもの彼に
あっという間に戻ってしまいました。
悲しかった、というか
なにか大きな黒いものによって
彼が包み込まれてしまったことに
わたしは衝撃を受けました。
わたしは
「人は、自由に生きるのがいい」
そう思っている人間です。
そこで、自由な感覚を邪魔するのが
あらゆる「縛り」だと考えています。
きまり・ルール・法律・しきたり・ノルマ・・・
確かに「縛り」は
集団生活を営む上では
必要不可欠なものだと言えましょう。
ですから
わたしが提案している「自由」というのは
それを取り払いましょう!という意味ではありません。
意識を自由にすることです。
これは誰にでもできます。
どんどん自由になれます。
「まあいいか」
「それもアリか」
「だいたいいいか」
「どっちも間違ってないか」
「わたしのもいいし、あなたのもいい」
「どうであっても大丈夫」
「わたし・俺は自由だ」
「好きなことをやっていていいんだ」
と思うこと。
そんなバカな、と思われるかもしれませんが
これも昨日お話したセルフイメージと
同じ考えです。
思うことで、そうなります。
自由に考えるようになれば、
その瞬間から自由なのです。
大人が海外旅行にいって自由だと思い
その気持ちよさを感じるのと同じように
子どもにとっての夏休みは
身体も心も自由になり心地いいもの。
でも
なぜ数日で、彼は
元通りのガチガチ顔になってしまったのでしょう?
言うまでもありません。
周りが
「あなたは、こうあらねばならない」といった
枠組みを要求しているからです。
「縛り」です。
周りの大人は
「良かれと思って」「成長を願って」
子どもに指摘したり、注意したりしてると思います。
だけれども
あまりにも「あなたは、こうあらねばならない」
という縛りが強すぎると
それは子どもによっては裏目に出てしまうんですよね。
一定の基準がないことだからこそ、親は
自分の子どもを注意深く見取り、
様子を観察しつづける他ありません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明日から「個性」の話をしたいと思っています。
気になるテーマや、あなたの悩みや聞いた話、気になるママ友の言葉などがありましたら、こちらのメールアドレスまで、お気軽に送ってみてください!
↓↓↓