昔は違いました。
教育を受けられること自体が
ステータスであり高尚なものだった
明治時代。
日本国民が一丸となって戦後復興を目指し
どの子にもまんべんなく
一律の教育をほどこし
学歴社会が完成した昭和時代。
(そのころ教育は
一斉に行われても
みな同じように教えられても
個性を潰されても良かったわけです。
だって、
勉強ができること=かしこい、とされ
その「かしこい」とされた人たちには
豊かな人生を保証されたからです。
だから、親も自信を持って
(今のおじいちゃん・おばあちゃん世代くら
いまで)
「お勉強しなさい」って言えたでしょ?
とにかく、お勉強できる者が上に行けた
世の中だったんですね)
さてさて、それじゃ~
平成時代の親は、何て言えばいいんですか?
すでに学歴社会なんて崩壊してますよ。
大学の入試だって、数年後には
記述式が取り入れられる事が決定しました。
知識重視の時代は終わり、
考える力・アイデア力・表現力といった
その子なりの個性を要求される時代に
突入しています。
このことに気付いていない、
もしくは
気付こうとしない親子は
取り残されます。
勉強できる子
かしこい子
はっきり言いますが
かしこい子って
学校に行かなくても宿題をやらなくても
かしこいです。
学校の勉強をやってもやらなくても
かしこい子はかしこい。
やってもやらなくても、たいして変わりません。
学校の授業も
宿題も
塾の勉強も
世の中に生かせる「かしこさ」を
教育してはいないんです。
大学に入るまでの
勉強が出来る子を育てる
それだけに特化した場所です。
学校でかしこくしてくれるなら
どうして
こんなに自分で考えられない子が
増えるんでしょう。
1人で行動できない子ばかり
なんでしょう。
自信とやる気と夢がない子の問題は
学校や塾が解決してくれるでしょうか?
つづく