「みんな」と「普通」が奪うのは・2

 

「みんなやってるから」

「普通に育てばいいです」

「みんなと違うみたいだからやめようよ」

「普通にしといた方がいいんじゃない?」

 

これらのワードを声に出しても

あまり違和感を感じない方には

とても意味ある内容をお話します🚀

 

まず初めに、昨日と同じメッセージを繰り返します。

「みんな」「〇〇らしさ」「普通」

なんて基準は

存在しないと思ってください。

あやふやで、よりどころがなく、

得体の知れないものです。

 

一時的には安心感をもたらすのかもしれませんが

それが真実の道がどうかはわかりません。

 

 

アール・ナイチンゲールという哲学者は

「大衆は常に間違う」

という言葉を残しています。

 

(経済界でも有名な格言になっているそう💰自己啓発

 や実業家の為の書籍を数多く書き残しています✨)

 

本当に?と思うかたは、少し身の回りの当たり前に

目を向けてみてはいかかでしょう?

 

大衆が間違っていると思えることは、

いくらでも見つかるはずですから。

 

 

さて、「みんな」や「普通」を判断材料にしたり

それを頼りにして生きないことがどれだけいいのかを

これからお話していきます。

 

 

是非いままでのお話を、

ちゃんと飲み込んでから

読み進めてくださいね~👀

 

 

 

「みんな」や「普通」を意識した

子育てが奪うもの。

 

それは「協調性」です👫

 

 

え?

「みんな」を大事にしてるのに

「協調性がなくなるの??」って思うでしょう?

 

まあ、とりあえず、話を聞いてみてくださいね。

 

そうなんですよ、

「みんな」に合わせることを考えていればいるほど

まず「自分の感性」が失われます。

その次に「個性」が、

その次に「協調性」が失われます。

 

「協調性」とは、

みんなで上手くやっていく気持ちです。

誰ひとりとして遠慮も自己犠牲もしないで、

それでいて

誰もが生き生きと自己表現できる

 

ーそんな空気や雰囲気を作れることです。

 

協調や協和を人は心地よく感じます🍀

 

だから、「みんな」を大事にしようとするのでしょう。

周りに合わせるのでしょう。

 

でも、だったらなんでですか?

 

まわりに「おかしい」「変わってる」って

思われることをおそれているのは。

まわりの「みんな」が「みんな」を大切に

って思ってるはずなのに・・・

 

「みんな」を「みんな」が大切にできていますか?

 

 

違いますよね。

 

むしろ、協調や協和からかけ離れたトラブルが

身の回りや日本のあちこちで起きていませんか??💧

 

つづく