「みんな」と「普通」が奪うのは

 

「普通」という言葉が使えるのは

 

ある何かのまとまりや

 

集団を意識したときだけです。

 

 

普通の服」「普通の会社」「普通の高校」

 

ほら、「普通」という言葉って

多くのものが集まった状態のなかで使いますよね。

 

 

服というカテゴリーの中の「普通」

会社というカテゴリーの中の「普通」

高校というカテゴリーの中の「普通」。

 

 

 

なるほど。

わたしたちは、

あるカテゴリーの中で「普通」を求めるわけですね。

 

 

 

 

それならば

 

その「普通」ってのは・・・

 

いったい何なの?ですよね~

 

 

 

 

みなさんは、たいてい「普通」という言葉を

・大多数が選びやすいもの

・一般的なもの

・ポピュラーなもの

という意味で使っていることが多いんじゃないでしょうか。

 

大多数が選ぶ服、

大多数が選ぶ会社、

大多数が選ぶ高校 というように

 

 

 

つまり

 

 

 

「みんなが選ぶ」ものが

「普通」である。

 

「普通」を選べば「安心」で

やっぱり「普通」は「間違いない」と。

 

 

 

そこです。

そこなんです!

 

 

 

「普通にしよう」「普通がいい」「普通にして」とは

 

「みんなと同じにしないと不安なんだよ」

「みんなと一緒がいいの」

「みんながそうなら、合わせたほうがいいよね」

 

    ・・・そんな感情の裏返しなのです🔁

 

 

 

だから

 

もしも「普通」な状態に安心を感じるのであれば

 

それはあなたが

 

「みんなと同じかどうか」

「周りに合わせているか」

「お友達とだいたい一緒か」

 

を基準に物事を考えていることを意味します👫

 

 

 

 

 

そして、

 

知っておいてほしいのは・・・

 

 

そのように

 

みんなに合わせようとする子育ては

 

子どもにいくつかの弊害をもたらす💀

 

ということです

 

 

つづく