昨日、わたしはこんな質問をしました。
あなたの子が、もし漢字をササッとおしまいにして
サッカーばかりしていたら?
A:サッカーをほどほどにさせて、漢字をやらせる
B:漢字をあきらめて、サッカーに打ち込ませる
これ、Aになっちゃってません?
いや、、なっちゃいますよね。。。
もしかすると、
消極的な理由でBの状況になっている
ご家庭はあるかもしれません。
つまり、どんなに親が忠告しようと
どうしてもサッカーしちゃう…
全然「言うこと聞かない!」状態(笑)
で、親が根負けして仕方なく…っていう。
そういうことではなくて、
完全に漢字には目をつぶって
サッカーを応援してやろう!って心を決めるのは、
親として、なかなか覚悟のいる選択だと思います。
きっと、「トップレベル」と呼ばれる人たちは
その分野をとことん伸ばせる環境を
用意されていたのでは。
「子どもの可能性を
できるだけ広げてあげたい」
そんな親心から
「まんべんなくできること」を
求めすぎてはいないでしょうか?
本田圭祐選手は「きよきよしい」と
誤読しましたが、
世界で活躍するプレーヤーであることは
まちがいありません。
彼がもし
「まんべんなくできること」を求められ、
サッカーボールを取り上げられたりでも
していたら?
日本がグループリーグを突破することはできなかった。
かもしれない。
「清々しい」は「すがすがしい」と読むんだ、と
32才になって知った彼。
英語も使えるのに!
それは同時に、
サッカーだけに打ち込んだ人生だった
ということを表していますね。
こんなふうにも考えられます。
↓
彼のサッカー人生において
「清々しい」という感情が芽生えたシーンは
これが初めてだったのかもしれない、と。
もしかしたら今まで、本田選手には
「清々しい」という言葉を使う場面がなかったのでは
ないでしょうか?
彼にとっては、最後のワールドカップ。
小学校からの夢。
何かひと区切りつけるときに使う言葉「清々しい」。
彼のサッカー人生で、初めてひと区切りつけた瞬間。
初めて感じ、初めて使った言葉。
だから読み方がわからなかった、とも言えるのでは?
とサッカーファンのわたしには、
そう見えてしまいました。
できない・わからない=恥なのか?
「まんべんなくできること」を求めるのが
どんな子にもベストなのか?
いま一度、考えるきっかけを
彼が作ってくれた気がします。