「人並み」を求めて

 

人と比べて育てられた人は(ほとんどの人が該当するのでは?)物事の優劣を、周囲との比較で決めることに慣れてしまっています。

知らないうちに、誰かよりもいい・みんなと同じくらいで安心・誰かより下手…そういう見方をするようになってしまっています。

 

 

「そのくらい出来てほしい」

「どうしてみんな出来てるのに、あなたはできないの」

「もう3才なんだから」

「もう小学生なんだから」

って、何かしら理由をくっつけて

どんなこともみんなに追いついていないと不安になる。そんなところはないでしょうか?

 

そして、それがエスカレートすると、激励を忘れて叱咤だけの期待をかけたり押しつけたり、ご褒美で釣って無理矢理やらせてみたりするとか…そんな窮屈な関係になってしまうかもしれない。

 

 

そういうんじゃなくて、もっと自然に、できないことをその子の凹としてそのまま受け入れちゃうと楽になれると思うんです。そういう子なんだと。

あきらめるのとは、また少し違うんですよ。

どうしようもないやつだ、なんて思うのとは違うので。

 

今のこの子は頑張ってもこんな感じなのか、って受け入れる。親としては納得いかないけど、そういうことにしておく。

 

 

 

周りに合わせようとすればするだけ、

親自身に不安がのしかかる。

だったら、肩の力を抜いて、

のんびり構えたほうがいい。

 

どの子だって、絶対に凸がある。

凹もあるけど、それでいい。

 

こんな心構えでいる親だけが、

思いきりその子の凸を

伸ばすことができるのです。

 

 

だって、「人並み」を求めている以上「人並み外れた」良さなんて伸びてこないでしょ。

「人並み」を求めて凹を気にするあまり、凸に気付かない人生になるかもしれないんですよ?

親の不安払拭のために、自分の子の可能性が埋没することだってあるということです。しかも、知らないうちに。。。

 

 

我が子だと難しいのは重々承知。

でも

(自分だって完璧な人間じゃないのよね、  

 でも長所だってあるから大丈夫!!)

 

ってところに立ち返れば、子どもの至らなさが、自ずと可愛らしく見えるようになるかもしれません。

 

ないものを追いかけるより

あるものに目を向ける

エネルギーをそこに注ぐ

 

 

安定した自己肯定感と自信に満ちた子どもに育てたいなら、凹よりも凸でいきましょう!!