わたしは、
テストをなくせ!学校なんて意味がない!なんてことを
訴えているのではありません。
誤解を招かないように補足しておきます。
評価はあってもいいのです。
評価=CHECK ですからね。
現状を確認したり振り返ったりし、次の手を打つために
CHECKは大切な作業です。
だから、評価そのものを批判したいわけではありません。
問題なのは、
いい評価を受けること自体を
目的にしてしまうこと。
何らかの成果を出すことを目あてに
頑張ってしまうこと。
中間テストのために頑張る。終わったら遊ぶ。
習い事で試験がある。そのために特訓する。
しぶしぶ短期的にやって、すぐに忘れる。
ご褒美が待ってるのなら、夏休みの宿題やる。
そうじゃなーーい!!
そうじゃなくって、中間テストも試験も宿題も、長い目で見たらどうってことない小さなハードルなわけですよ。失敗したって、不合格だってやり直せばいいだけ。
つまり
いい点数や合格や、すべてを完璧にこなすことが最大の目的ではなくって、本当の「評価」ってのは、また次のステージに進んでいくための「チェックポイント」。
言わば人生の通過点でしかないんです。ゴールではなくってね。
そう、その小さなチェックポイントをどう乗り越えようとしたか?とか、なんでつまずいたのか?という自分との対話によって、つぎのチェックポイントへ向かうことができるようになるわけです。
繰り返しますが、評価やテスト、学校が良くない、などと言うつもりはありません。問題は、取り組み方です。
成果を上げることを目指している限り、
本人の主体的な学び感はつかめません。
ということで……
親はテストや成績といった評価については半分目をつむってみてはいかがでしょう?
「この子をこのやり方でチェックしたらこうなるのね、ふーん」くらいに。
歴史に名を馳せた天才には、学校に馴染めなかったり、周囲が手をこまねいたりした人が少なくありません。かのアインシュタインも、幼い頃は「バカだバカだ」と言われて育ったというのは有名な話ですよね。
けれど彼らは個性を失うことなく、
自分という個性を爆発させていった。
AI時代に求められるのは
間違いなく
この「個性の爆発」のほうでしょう。