見えない縛り

 

子どもの学ぶ場を考えたときのわたしの理想は、

 

それぞれが思ったことを口にし、

やってみたいことをやってみて、

発見や模索を繰り返しながら、

自ら学びに行っているんだ!という感覚を持ち、

わからないことをわからないと自由に言える環境。

 

子ども同士も、親同士も

「できる/できない」のものさしに

取りつかれることなく

純粋な個々の違いを認めれば、

お互いを尊重し合える関係になれる。

 

ーこんな教育ってステキだと思いませんか?

 

でも、今の日本の教育現場には、

ここに辿り着けない理由があります。

 

なぜ、子どもが自由な発言や発想を表に出せないのか?

答えは簡単です。

答えが、1つに決まっていること。

わかる・できる・はやい などが良いものとされ、

自分らしさを思いきり出しても評価につながらず、

誰にとっても喜ばしいことではない、と学ぶからです。

 

そうなれば、子どもは正解を求める道を選びます。

家に帰れば家族が褒めてくれ、成績が上がれば嬉しい。

成績や内申を上げることに躍起になる。

そのための進学塾や家庭教師を選ぶ。

みんな、それについて何の疑問も持たない。

 

 

ホントに問題ないって思えますか??